2006年05月03日

非行者から不審者へ/青木

以前、高橋源一郎さんの著作を調べていたおりに、現在の社会における「監獄」ってなんだろうって考えて、フーコーの『監獄の誕生』を読み返していたら、「非行性」という言葉に出会いました。「非行」というのは「非行少年」とか言う時の「非行」の意味です。もとのフランス語だとdelinquance(アクセント記号は省いてます)。フーコーはこの「非行」という言葉を、あらかじめの前科者、潜在的ならず者というニュアンスで使っていると思われるのですが、その際この「あらかじめの前科者」という規定は、基本的には、社会の成員すべてに当てはまります。つまり、近代社会(この場合、権力の視点から見た「社会」です)では、市民の全員が非行者、つまり、いつか逸脱行為をする潜在的素因を持つ人間としてイメージされます。この「非行性」という概念は、フーコーの有名なパノプティスム(一望監視方式)の分析に負けず劣らず重要な概念だと思います。実際、現代の権力の構成がパノプティズムからコントロール(環境管理、ただしぼくはむしろ「ロジスティック(備給戦術=記号論理)」という言葉を提唱します)に移行しても、「非行性」という考えは十分通用すると考えられます。最初の問題意識に立ち戻ると、現代の「監獄」とはこの社会全体であり、誰もが潜在的には「あらかじめ収監されている」状態にあるわけです。まあこう考えると、監視社会と呼ばれる現状に横たわる権力の構成も、少しだけ見やすくなる気がしたわけです。

ところで、「不審者」と言う場合は、「非行者」と似ていますが、やはり違う感じがする。「不審者」という言葉には、社会のある階層が別の階層を差別して「不審」と感じる、という視点が前提になっています。つまり、ある視点からの「階層化」と「差別」が前提になります。「犯罪予備軍」なんて言い方も「不審者」と同じで、一見「非行者」という概念に似てますが、むしろ観念も実体も伴わない、まず差別化するための言葉だと思います。戦後の日本社会は、実体は別にしても、マス・イメージとしては「無階級な社会」を目指していた気がするのですが、それがここにきて、いきなりむき出しの「階層化」の欲求が現れてきて、しかもその欲求を肯定するような政治家の発言まで聞かれます。ぼくは「不審者」とか「犯罪予備軍」とか「ニート」といった言葉がメディアによって流布されてしまう背景には、ロジスティックあるいはコントロール型の管理を行き渡らせるための口実として、「不審な『階層』が実際に存在する」というイメージをむりやり作り出さねばならない、という権力の事情があると考えています。そして、こういうイメージを必要としているのは、「自分達だけは『非行者』ではない」と公的に認可されたがっている共同体です。もちろん、そんな共同体は幻想の中にしか存在しないでしょう。毎日の報道を見ればわかる通り、別に「不審者」ばかりが犯罪しているわけじゃなく、官僚も重役も警察官も分け隔てなく犯罪してるんだし。

そこで、
1、この「不審者」といった曖昧なイメージの発生源はどこか。
2、現在の幻想的な「階層」意識は、どんな欲望にもとづいているのか。
3、階層化を進めていった場合、現実として日本の社会に起こることは何か。
といった点をこれからじっくり考えていきたいと思います。その際、早稲田のビラ撒き不当逮捕事件は大いに参考にさせてもらうぞ。
posted by aoki at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 青木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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