2006年06月03日

事件の経緯についての資料/池田

12月20日早大文学部における不当逮捕を許さない
 ← 抗議文の掲載ページ。

事件の経緯
 ← 当該団体、つまり逮捕された青年が所属している団体による、逮捕時件にいたるまでの経緯が掲載。

早稲田大学ビラ撒き逮捕事件、教員7名「公開質問状」
 ← 早稲田大学のスタッフである、岡山茂氏、藤本一勇氏、谷昌親氏、斎藤純一氏、岩田駿一氏、原章二氏、猪股正廣氏による公開質問状。文学部からの参加はデリダの研究者として知られている藤本氏のみ。

学生・教職員のみなさまへ
 ← 早稲田大学第一文学部、第二文学部、文学研究科名義による説明。私人逮捕についてはまったく触れられていない。



以下、それぞれのサイトおよび新聞記事から、事件の経緯について述べられている部分を引用する。


■朝日新聞朝刊12月29日■
■警視庁の調べなどによると、男性は20日昼、東京都新宿区の文学部がある戸山キャンパスで、学生会館移転問題に絡むビラをまいた。学校側がキャンパスの外に出るように求めたが従わなかったため身柄確保(私人による逮捕)をし、警察に通報して引き渡した。調べに対し、男性は黙秘しているという。


■抗議文からの引用■
■12月20日昼ごろ、早稲田大学文学部キャンパス内において、早大再編について考え、反対する行動告知のビラをまいていた一人の人間が、突然7,8名の文学部教職員に取り囲まれて、そのまま警備員詰所に軟禁され、その後、その教員らが呼び入れた牛込警察署員によって「建造物不法侵入」の容疑で逮捕されてしまいました。


■「事実の経緯」からの引用■
■12月20日の昼ごろ、東京都新宿区の早稲田大学文学部キャンパスで、ある青年がビラ撒きをしようとしていました。ビラの中身は、2001年7月31日の早大キャンパス内サークル部室強制撤去以降行われている、早大当局による言論弾圧、集会破壊に抗議する行動を告知するためのものです。学内に入りふと気がつくと、彼はどこからともなく現れた7〜8名の文学部教員に取り囲まれていました。彼はそのまま警備員詰所に連行、軟禁された上、第二文学部教務担当教務主任らが導入した牛込警察署の警察官によって"建造物侵入"の容疑で逮捕されてしまったのです。


■公開質問状からの引用■
■12月20日に早稲田大学文学部構内で、地下部室撤去と学生会館移転問題に関わるビラをまこうとした男性が逮捕されました。朝日新聞(12月29日朝刊)には、「学校側がキャンパスの外に出るように求めたが従わなかったため身柄確保(私人による逮捕)をし、警察に通報して引き渡した」と書かれています。


■「学生・教職員のみなさまへ」からの引用■
■1) 2005年12月以降、早稲田大学構内への立ち入り禁止の仮処分(20 01年7月31日東京地方裁判所決定)を受けている者が文学部正門脇に 立ち、それと共同して文学部構内でビラを配布する者が出没した。そこで、 立ち入り禁止者の動向を注視していたところ、12月15日に、ビラを配 布している者が、教員の一人に対し、その家族の安全に関することで脅迫 を行った。
■2) この事件について、文学学術院執行部で協議した結果、脅迫に関しては所 轄警察署に通報し、文学部正門前の警備を要請した。当該教員のみならず、 その家族の安全をも脅かす言動であり、放置できないと判断したからであ る。なおこの件は、12月20日の教授会において報告、了承されている。
■3) 12月20日の正午過ぎ、15日に脅迫を行った者が、文学部構内スロー プ上に立て看板を置き、ビラを配布し始めた。学生証の提示を求めたが応 じないため、構内からの立ち退きを求め、いったんは退去させた。しかし、 再度構内に侵入し活動を始めた。そこで、繰り返し立ち退きを求めたが、 応じなかったために、警察に通報した。
■ 4)脅迫を行った者は、早稲田大学とは全く関係のない人物であることが判明 した。

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2006年05月25日

ビラまき青年逮捕事件に対する池田のスタンス(2)

■前回のエントリーで、昨年末におきた早大ビラまき青年逮捕事件に対しては、左翼的なスタンスも批評的なスタンスもとらないことと、その理由を述べた。ではこの事件に対して、私はどのような態度を選択するのか。

□当面それを「当事者主義」と名づけることにする。前回も少しふれたが、人間は様々なトピックにおける「当事者」として生活している。あるトピックにおいて革新的でも、べつのトピックにおいては保守的かもしれないという話だ。そう考えると、人間は無数のトピックにおいて、その場所の「当事者」としての態度を選択しているということになる。

□それをふまえて、検証、疑問あるいは抗議というような言説の射程を、当事者としての私がみえている範囲に削り込んでいくという作業を、やってみたいと思う。



■法律の当事者■
□まず私は、日本国の法律にしたがい、日本国で生活を営んでいる。つまり法律というトピックにおいては、私はつねに当事者である。
続きはこちら
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2006年05月20日

ビラまき青年逮捕事件に対する池田のスタンス(1)

まず私はとくに左翼ではないと自己規定している。人は、あるトピックにかんして「革新的」だったとしても、べつのトピックでは「保守的」だったりするものだと考えているからだ。

たとえば、「国家」というトピックにおいて革新的な人間が「それ以前の共同体」というトピックについては保守的だというような状況は、じゅうぶんに考えられる。おなじように「セクシュアリティ」というトピックでは革新的な考えをもっている人間が、新自由主義的な状況に対しては寛容だったりとか、セクシュアリティについて保守的な人間が、その他の人間的「規範」に対しては革新的だというようなこともあるかもしれない。つまり、すべてのトピックにおいて革新的だというようなポジションを、たかだか身体的な存在にしかすぎない人間はとることができない。そのようなポジションをとる人間は、なにか壮大な幻想、たとえば幸福な無政府状態などを内面化しているのではないか。いまのところ私はそのように考えている。

したがってこの事件にかんしても、左翼的なスタンス(よく考えてみればそれが何なのかもよくわからないが)をとらないつもりだ。また、しばらくは「批評家的」なスタンスもとるつもりもない。ここでいう批評家的ポジションとは、事件の当事者として問題を解決する態度ではなく、その問題のありようを、その問題が(それとして)おこる条件にまで遡り、たとえば問題それ自身に内在する関係者の利害関係を暴露するような態度のことである。

今回の件で、最も簡単な方法で批評家になれる方法は「そもそも論」を唱えることである。「そもそもビラまきなどという行為はアナクロで自己満足的な左翼の様式以上の何ものでもないではないか」というようなタイプの見解のことである。メーデー弾圧事件の時もそうだが、ブログ等でたまにみかける主張でもある。いやまったくそのとおり。そう仮定してみよう。そもそも大学のキャンパスでビラをまくなんていう行為は、非効率的で時代錯誤だけではなく、迷惑でさえもあるかもしれない。しかし、そのことと、それによってビラまきの主体が大学の教職員によって「逮捕」されることとは、まったく何の関係もない。これがこの事件についての私の見解である。

それと同様に「この逮捕事件に抗議するということは、その逮捕された青年の団体の利益に荷担することになる。その団体が危険だったらどうするんだ」というような意見もあるかもしれない。まったくそのとおり。これもそう仮定してみよう。そもそも抗議文の「呼びかけ人」になるということは、当該団体に利用されることになるはずで、そのことがわからないで呼びかけ人にになることは、自分だけは心の清らかなつもりでいる独善的な知識人きどりではないのか。仮に当該団体がエゴイスティックで危険な団体だとしよう。この事件に抗議するということは、その団体の利益に荷担することになる。それでいっこうにかまわない。しかしそれは私が人間の利害関係に盲目だからではなく、そのことよりも、この事件を沈黙によって「了承」してしまうことの方がよほど危険だと判断したからである。つまり逆にいえば、この事件を考えるにあたって、当該団体にシンパシーや信頼をよせる必要はないのである。これもこの事件についての私の見解である。

もし、抗議文の呼びかけ人が当該団体の「仲間たち」のようにみえるならば、つまり呼びかけ人の行為がなにか「プライベート」なもののようにみえるとするならば、それは呼びかけ人が、呼びかけ作業を当該団体に「丸投げ」しているからである。これはひとえに私をふくめた呼びかけ人の怠惰によるものである。あるいは、問題をクリアカットする作業をさぼっていたからだとも考えられる。このトピック限定の共有ブログは、そのことの反省から思いついたものだ。それでは、いったい私はどのようなスタンスで、この事件にかかわろうというのか(つづく)。
posted by ikeda at 13:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 池田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月28日

この事件についての見解/池田

大学という空間で「建造物侵入罪」の現行犯で、教職員による「私人逮捕」がなされたことを深刻に受けとめている。もしこれがアリなら、大学スタッフの恣意で、モグリ学生などいくらでも逮捕できることになりかねないからだ。

もちろん、この事件は緊急の事態であり、そのようなことにはならないと考える人もいるだろう。しかし、このような出来事が、まわりの人間の沈黙によって「了承」されたことになり、合法的かつ合理的な行為だとみなされたとしてたら、この事件の次にくる出来事について想像力をたくましくしておく必要があるのではないか。

テレビのニュース番組などをみると、若年層をあたかも「犯罪者予備軍」であるかのように「表象」しているようにしか思えない時がある。凶悪な事件をおこす若者や、すっかり社会問題にされてしまった「ニート」、あるいは経済優先で規範や道徳などどこかに置いてきてしまった青年像、現在若年層は、このようなものとして表象されている。じっさいに若者と接する機会がない人のなかには、彼ら彼女らに「恐怖」をいだいているかもしれない。

そのような恐怖心と、この事件を緊急事態としてみすごす態度とがむすびついたら、ろくなことにはならない。じっさいに大学の公式見解では「不審者は容赦しない」といった意味のことが言われている。私のみたところ、そのような「不審者」を年々量産しているのは、大学の文学部ではないのか、という印象がある。(ここで息切れ、いったん中断)
posted by ikeda at 22:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 池田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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