2006年08月10日

ロジスティック(8)/青木

・文章中の「措置入院」を「入院」に書き改めました。詳しくはコメント欄の長野様の御指摘をお読み下さい。この場を借りて御指摘に感謝致します。(青木)


「心神喪失者等医療観察法」の最大の問題点は、この法律が「再犯のおそれ」という理由の下に、どうしたって不確実で、高い確率で恣意的になっちゃう「未来予測」という観点から病者の処遇を決定する「保安処分」として機能する点です。しかも、この「未来予測」には、科学的な根拠のないあの鑑定ガイドラインが使われるわけですから、入退院の決定は判断者の気分次第になりかねません。

では、精神障害者の処遇を最終的に判断するのは、誰なんでしょう。ここもまた、この法律の大きなポイントです。現行の「精神保健福祉法」によれば、自傷他害のおそれがある精神障害者の入院には、2人の精神保健指定医による医療上の診断が必要です。この診断は、あくまでも医療行政の領分にあります。しかし、「心神喪失者等医療観察法」では、裁判官と精神保健審判員(精神科医)の合意によって入院などの必要を判断することになります。つまり、司法も介入するようになります。

もし裁判官が保守的なひとで、触法精神障害者はずっと隔離したって当然なんて考えるようだったら、一度入院させられた患者がいつ退院できるかなんて、もうわかりっこありません。ちょっとSF的な世界です。この法律の施行を危惧しているひとのすべてが恐れているのは、実はこの点です。これは正直、ぼくも怖いです。ちなみに「心神喪失者等医療観察法」の最初の適用者は、新幹線の車内で消火器をふりまわして乗客に軽いケガを負わせたひとだそうですが、ぼくだって、いつトチ狂って「金よこせ、『カントの哲学』の印税を半分よこせ!」と池田さんの家に押しかけて消火器ふりまわすか(池田さんの家に消火器あるのかな)知れたもんじゃありません。このくらいの些細な狂気は(些細かな、まあ些細にしておこ)、誰にだって訪れかねないと、ぼくは思ってます。でも、「心神喪失者等医療観察法」にひっかかったが最後、いつ退院できるかわからない入院の日々が待ち構えているかもしれないわけです。そうなったら池田さんのせいです。そうしときます。

これ以上ぼくがなにを言ってもあまり説得力がなさそうなので、日弁連のマジメな本から引用しておきます。少し長くなりますが、問題点の所在がはっきりすると思います。

「さらに新制度における裁判官は、精神科医と協同して『この法律による医療を受けさせる必要』を判断することとされている。裁判官が対象者の人権保障の役割を担わされていることを忘れて、治安維持の役割を積極的に担う方向に傾けば、『医療の必要あり』の判断が患者の利益にではなく社会防衛の方向に機能することもありうるのであり、その場合には厳密な適正手続の保障もないままに実質的に保安処分を受けるのと同じ結果が生じ、対象者に対して耐えがたい人権侵害を犯すことになる。
 特に日本の裁判官は、保釈や勾留執行停止等の身柄解放制度の運用に著しく保守的と評されている。そのような裁判官が、同様の治安維持的見地から、医療の必要性の内実を再犯のおそれと解したうえでこれを過度に重くみる運用をすれば、まさしく保安処分の濫用である。精神科医が対象者に対する医療は一応終了していると判断しても、裁判官が対象行為の重大性や治安維持の観点からなお再犯のおそれありと考えて『この法律による医療を受けさせる必要』があると判断することによって、入院期間の上限がないことも手伝って不当に長期の身柄拘束という事態が生じないとはいえないのである。
(略)
 この法律は、強制的入通院の要件がきわめて不明確である点で罪刑法定主義に違反し、入院期間に上限が定められていない点も罪刑法定主義の派生原則の一つである絶対的不定期刑禁止の原則に違反する疑いがある。」(『Q&A心神喪失者等医療観察法解説』23-26頁、日本弁護士連合会刑事法制委員会編、三省堂、2005)

監視の視線が縦横無尽に張りめぐらされた狭い空間の中で宣告される「絶対的不定期刑」。ぼくが「心神喪失者等医療観察法」によって入院させられる患者に見るのは、そのようなイメージです。つまり、視線の力によって制圧された空間の中で、法律そのものが人間から時間をはく奪するのです。そして、ロジスティックの技術、「記号論理」と「備給戦術」のふたつのテクノロジーは、ひとまずこのような「時間の制御(コントロール)」に収斂するのではないか、とぼくは考えているわけです。「心神喪失者等医療観察法」における「再犯のおそれ」という「未来予測」にもとづく保安処分は、その典型的なパターンと言えます。

おそらくこの「時間の制御(コントロール)」という事態は、もはや入院患者ばかりでなく、市民社会の全般に浸透しつつあるのではないでしょうか。相互監視のテクノロジーは、じょじょに社会の隅々にまで行き渡り始めています。その中で、個々の市民からは本来の「プライヴェートな時間」という意識が失われてゆきます。これは単に残業が長くなるとか、個人情報がネットからすぐ洩れる、といったことを言っているわけではありません。生活の時間全体が共同的なものに変質しつつあるのです。すなわち、時間そのものの共同観念化です。もはや個人が時間を所有している時代が終り、共同性が時間とその意味を侵略し始めているのです。

このことの根拠を考えてゆくと、どうしても「共同的なもの」が時間全体に憑依しつつある、つまり時間が「共同幻想」に変化しつつある、と考えざるをえません。ここで言う「共同的なもの」が国家なのか、マスメディアなのか、あるいはそうしたものを手足とする何かもっと大きな複合体なのか、ぼくにもその実態はまだよくわかりません。おそらくそれは「幻想」でありながら、同時にきわめてリアルな何かです。そして、幻想であると同時にリアルなものこそ、人間がそこから抜け出すのがとても難しい領域です。人間の欲望の流れ自体が、そうした領域に誘導されているからです。知らず知らずの内に、欲望が勝手に時間を「共同的なもの」に捧げてしまっているのかもしれません。

実はぼくはこの2週間ほど軽い睡眠障害気味で、時差ボケみたいな日々が続き、体が少しフラフラします。これは職場のトラブルに起因する半ば個人的なものですが、こんな些細なことで睡眠のサイクルがめちゃめちゃに狂うことには、われながら驚きました。今こうした睡眠障害に悩んでいるひとは、とても多いと聞きます。睡眠障害のような最近はやりの心身の障害は、「時間の制御(コントロール)」あるいは「時間の共同観念化」という事態に対する心身の側からの消極的な抵抗という一面も持っている気がします。この抵抗をなんとかポジティブな方向に変えることができないかなあ、とか考えます。デモやその他の社会運動も、これから先、「時間」というファクターを積極的に工夫しながら取り入れてゆく必要があるのではないでしょうか……。と、ここまで書いてなにか有効な戦略はないかと考えたのですが、なかなか思いつきません。ハンガー・ストライキはある意味、時間的な抵抗だと思うけど、これじゃ身を滅ぼしかねません。もっとからだに楽な方法がないかな。「同時多発居眠りデモ」なんてどうかしら。楽しそうだな。

「心神喪失者等医療観察法」によって「絶対的不定期刑」に処される入院患者の姿は、日本の市民の近未来の姿の象徴でもあります。共同的にコントロールされた時間に適応できない人間は、まず監視の視線が張りめぐらされた空間に投げ込まれ、そこで個人的な時間をはく奪されていきます。このような非人間的な時空間こそ、法律の力さえも利用して社会の中に組み込まれた「法の外」の領域なのであり、ロジスティックの技術はその領域を、莫大な資金とエネルギーをかけて管理しようとし始めていると言えるのではないでしょうか。

次回からはまた文学作品とからめながら「ロジスティック余談」といった感じで話を進めていく予定ですが、そのためにも読んでおきたい本が何冊かあるので、ちょっと間が空いちゃうと思います。その間に、池田さんとぼくの企画物の記事が入るかもしれません。
posted by aoki at 08:29| Comment(10) | TrackBack(1) | 青木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まるで今日やっていた『トゥルーマン・ショー』のような話だと思いました。統治の「備給戦術」が効いているため、この共同的な時間というのが、非人間的でありながら「情動的」だというのがポイントですね。そういえば12日にやるTLGPは、そのような共同時間に対するカウンターになってるかもしれません(もちろん楽観的にな見方ですが)。

東京レズビアン&ゲイパレード2006公式ホームページ
http://www.tlgp.org/index_pc.html

企画ものについての打ち合わせ等もしたいので、連絡します。ちなみにうちには消化器ないです。売りに来た人はいますが、追い返してしまいました。
Posted by 池田 at 2006年08月10日 17:40
『トゥルーマン・ショー』は見れなかったなあ。

今回の記事で書いた「時間そのものの共同観念化」というのは、例によってぼくの仮説にすぎないんですけど、これは検証が難しいです。ただ、共同幻想はある程度まで「他界」の観念__たとえば死後の世界とか__と関係するので、ぼくたちの他界の観念がどう変化しつつあるかを分析すれば、仮説の妥当性も多少ははっきりすると思います。でも、これも難しいですね。

>そういえば12日にやるTLGPは、そのような共同時間に対するカウンターになってるかもしれません(もちろん楽観的にな見方ですが)。

実践的な事柄に関しては、楽観性も大切だと思います。ぼくも見に行こ。表参道で会おうね。
Posted by 青木 at 2006年08月12日 13:41
こんちは。一昨日は楽しかったっす。今後もよろしく。後でちょっとメール致します。
ところで、直接「ロジスティック」というテーマとは関わりがないのだけど、このブログの一貫した主題(?)である管理権力の再編成について、ひとつ感じたことがあるので書いてみます。といってもきっちり論をたてる準備もしていないので、思いつきになりますがあしからず。
きっかけは昨日、靖国の帰りの飲み屋で、隣りに座った方(知人の知人)が「農協」について話したことでした。歴史学の若手研究者ですが、彼によるとそろそろ農協の戦後史的意味について考えてみてもいい。現在農協は、農家の階層化や多様化によって空疎になり、農家向け金融機関としてのみ生き延びているそうです。組合員が平等な一票を持つ、自律的な生産・購買協同組合としての力を失いつつあるというわけですね。その背景には、戦後の農家が、農業それ自体ではなく、所得における非農業部分、つまり兼業の比率を上げることで豊かになってきたということがある。農協の役割は、農家が農業をしない/できないように、農作業を請負うことだった。戦後社会の平準化、均質化は、農民が非農業化することで行われた。ただし、この農家の働き先が、農協職員、役所、出稼ぎというように地方的サイクルにとどめられているというのが重要だと思うけど。ここには奇妙な二重性のようなものがありますね。つまり、農家は非農業化される。しかし、直接都市労働者に転化するのではなく、食管制や公共事業と一体化した地方的な循環にとりこまれる。農協はこのシステムのコアだったと言うことですね。戦後システムとその崩壊を考える上で、案外この地方的空間って重要なんじゃないか。
実際ネオリベラリズムって、地方でこそ先行していた気がする。小泉改革はそのだめ押しであり、それを都市部に持ち込んだものであると。そのため、システムが機能不全をおこすとき噴出する社会問題も地方が先行し、あらたなガバナンスもそこでこそ実験的に試行されている可能性がある。僕らは管理社会だ、IT化だというときに、まず都市をモデルにしてしまうけど。
もちろん現代日本では純粋な農村地域というのは存在しないから、これは農地と住宅が櫛の目上にならんでいるような地方都市の問題ですね。現在のネット文化にしろ、管理権力の伸張にしろ、地方的空間の自壊に対するある種のリアクションとして検討することはできるかもしれない。たとえば僕はだめ連のような運動が一番必要なのは、県庁所在地レベルの都市じゃないかと思うときがある。でも、地方発のそういう運動の話は聞いたことがないですね。


Posted by 倉数 at 2006年08月14日 12:51
この法律に反対し続けているものですが、国会審議でこういう答弁がありました。
野党側質問「統合失調症の患者が、酒に酔って、人に殴りかかって怪我をさせた場合(傷害罪)どうなるのか」
政府側答弁「原因となった統合失調症から回復するまで強制治療を行う」
殺人罪、放火罪、強姦罪、強制わいせつ罪(それぞれ「未遂」も含まれる)でも事情は同じことです。
野党側質問「後で免罪と判明した場合、国家損害賠償は受けられるのか」
政府側答弁「本人の利益となる医療なのだから、国家損害賠償の対象にはならない」

私自身精神障害者ですが、ここまでヒドイ法律だということを皆さんに是非知って欲しいと思います。

この問題に関心のあるかたは、私のブログも是非のぞいてやってください。集会案内等もこまめに載せてありますのでよろしくお願いします。法廃止の日まで、ブログ続けていきます。
Posted by 七瀬 タロウ at 2006年08月14日 19:04
>倉数さま
本日実家からもどってきました。倉数さんの話に関係するかどうかわかりませんが、私の実家は絵に描いたような県庁所在地的な都市です。それでやることもないのでたまに実家ふきんを散歩したりするんだけど、年々人間がいなくなっている様な気がしてならない。これは人口が減っているというのとはちょっとちがう気がします。なぜなら、実家の近辺は住宅も増えてるし、あたらしい店もできてるんだけど、なぜか人間の気配だけは消失している。人の気配がぜんぜんしない住宅地。ゾンビ映画のロケにはもってこいです。繁華街も夜8時をすぎると人がいません。いったいこれ何なんでしょう? 

とうような話をまたお会いした時にできればと思います。


>七瀬タロウさま
書き込みありがとうございます。青木さんと共同でやっている池田と申します。

この答弁もひどいですね。このなかにある「本人の利益となる」発言ですが、感覚的な印象としては、規範からはずれた人間を「法の外」に廃棄するための「バッファ」として入院施設を利用したいのではないか、そのための方便として「本人のための施設なのに、ここで矯正されない奴はもう知らん!」という言説をつくりたがっているのではないか、という気がします。その場合、入院施設がそのまま「法の外」に移行することになるでしょう。「自立支援」もそうですが、「本人のため」という言葉はほんとうに気をつけた方がいいと思います。

……かなり大雑把な言い方になってしまいました。七瀬さんのブログにある「地域型ホーム」の問題点などを読んで考えたいと思います。



Posted by 池田 at 2006年08月14日 23:02
「精神病」者の長野英子と申します。
医療観察法について取り上げていただいてありがとうございました。
一点だけ、措置入院は精神保健福祉法上の強制入院でこれまた保安処分として運用されているといっていいと思いますが、医療観察法の入院は措置入院ではなくて「入院」ということになっています。
刑事訴訟法との関連は以下に図を作ってみましたちょっとややこしいかもしれませんが。

http://nagano.dee.cc/ppp.pdf
Posted by 長野英子 at 2006年08月15日 11:32
倉数様、七瀬様、池田様、長野様、コメントありがとうございます。仕事で外出していて、返事が遅れてしまいました。

まず倉数様へ。
「地方」という観点は、ぼくのこれまでの記事の中にはすっぽり抜けていて、大変参考になります。以前から、ただでさえ跡継ぎが少ない第一次産業従事の方々が、どのような経路で他の産業に移行しているのか知りたかったのですが、なるほど、ひとつには「食管制や公共事業と一体化した地方的な循環」という構造があったわけですね。

ご存知のようにアジア的革命には従来は「地方型」と「都市型」がありました。「革命」と言うとおおげさだけど、戦後型の社会システムの崩壊の行方を見る上で「地方都市」という「地方」でもあり「都市」でもある空間は、これまでの「奇妙な二重性」の矛盾が露骨に現れてくる場所であるが故に、なおさら今後重い意味を持ちうる場になりうるし、できればそうした意味を自覚的に担ってほしい、という気が致しました。難しいことでしょうが、ここにも「当事者」の権利をいかに獲得するかという可能性の問題がありそうです。大学の問題もここにからんでくるかしら。

よかったら今後もいろいろお教え下さい。こちらこそ、今後もよろしく!


七瀬様へ。
いやいや、法律もひどいけど、すさまじい審議内容ですね。政府側答弁をしたやつは、何様のつもりなんでしょう。この答弁のずさんさ、意地悪さは、まだぼくも正確には言い表せませんが、来るべき社会の一面を正確に象徴している感じがしてなりません。人間への想像力が微塵も感じられないです。国会議員に対するリコール権があればなあ、と切に思います。

少し脱線しますが、「電気ショック療法」に関してはW・G・ゼーバルトという作家の『移民たち』という小説の中に痛切な一篇(「アンブロース・アーデルヴァルト」)があります。その中でゼーバルトは電気ショック療法をはっきり「廃人療法」と呼んでいます。

ブログのほう、継続的に読ませて頂きます。「医療観察法」その他に関して、なにか動きや意見等ありましたら、また御報告下さい。お願いします。


池田様へ。
特に今回コメントを下さった方々の意見を読むと、やはりこのブログを再構築してやや広いスタンスを取るようにしたほうがいいかもしれませんね。関連サイトの紹介、ありがとう。


長野様へ。
>措置入院は精神保健福祉法上の強制入院でこれまた保安処分として運用されているといっていいと思いますが、医療観察法の入院は措置入院ではなくて「入院」ということになっています。

御指摘ありがとうございます。ぼくのほうでも確認致しました。うっかりしてました。もし記事に間違いがありましたら、今後も遠慮なく指摘して下さい。あと、訴訟法との関連の丁寧な図、ありがとうございます。これは便利ですね。ぜひ皆様もご覧下さい。今後も情報等いただければ、うれしいかぎりです。


雑なコメントばかりになってしまって、ごめんなさい。「ロジスティック」の記事は、なおしばらく続ける予定ですので、御批判など遠慮なく書き込んで下さいね。
Posted by 青木 at 2006年08月15日 17:16
こんにちは。
>池田さん
おお、僕も昨日、まさに地元の県庁所在都市から人気がなくなって気色が悪いんですけど、という文章を書いていたところでした。真っ昼間、中心街です。そう「人間の気配」がないんですよね。人間が溢れかえっている都市からきたせいかと思っていたけど、気のせいではなかったか。で、どこに人間がいるのかというと、ショッピングモール。そういや「ゾンビ」って生存者が巨大スーパーマーケット(リメイクではショッピングモール)に立て籠って戦う話でしたね。ほとんど予言的。そう思うと、サティやイオンのような巨大モールが戦場に見えてきます。彼らは戦っていたわけだ。つまり街から消えてしまった自分たち自身と(笑)。
最近僕は五十年代ごろからの大衆文化、国民文化に関心があるのだけど、それらは日本のマジョリティが地方的なシステムに帰属していたことと結びついている。例えば演歌、歌謡曲。個人的な記憶でいえば、今もやっている「素人のど自慢」ってありますね。子供の頃、うちでもあれ普通に見てました。あれがひどくぶざまで異様なものに見えてきた頃に、システムの機能不全が始まったのでないかと。

>青木さん
「農協」という言葉に激しく反応してしまったのは、おそらくこれが戦後の最大の遺産のひとつであったにちがいない、という気がしたからです。ほとんど100%の組織率をほこり、一国の食料生産を一手に引き受ける農業組合。これこそ戦前の農民活動家(左派)も農本主義者(右派)も等しく夢みていたものでしょう。労働部門では挫折した夢ですね。まさに土地革命(農地改革)の成果です。もちろんこれはアイロニカルで、その帰結が自民党支配であり、日本的な集団主義であり、農民が自立できない(再分配によって維持される)構造だったわけです。少し一般化すると、いつも理想主義的、西洋的(右派風にいえば妄想的で押し付け)だといわれる「戦後民主主義」の理念が、結果的に、現実主義的で保守的で、エコノミックアニマルな戦後社会に帰結しているということです。
ところで、戦前の農民運動の課題というのは、近代化のなかで、いかにコモンズ=共有資産(文化的にいえば伝統や共同体)を回復するかということだったと思います。島木健作などを読むと、そこから農民組合という発想も出て来るとわかる。しかし、戦後農協などがやったのは、むしろ私的に豊かになること、電気製品、車、新幹線、高速道路であって、都市民と同じ生活をすることですよね。そこでコモンズはどんどん削られていく。
で、ネオリベラリズムが戦後システムを破壊した今になって、市場主義とコミュニタリアニズムが、国家主義とみつどもえになって出て来る。芹沢さんのインタビューで一番リアルだったのは、防犯ボランティアが地域住民にやりがいを与えているという部分です。治安維持というのは、コモンズが切り売りされて行くのと裏腹に、行政権力がコミュニティを主導するかたちで進行する。コピーライトもそうですけど、現在的な問題というのは、たいていコモンズ、国家、市場の三点セットの組み合わせでできている気がするのだけど、どうでしょう?
大学に関しても、一番苛酷なのはもちろん都市の有名大学ではなくて、地方の「駅弁大学」(死語)ですよね。これについて、知人から聞いた話を少しだけ日記に書いたことがあります。(http://d.hatena.ne.jp/shiku/searchdiary?word=%B2%AC%BB%B3&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail
Posted by at 2006年08月15日 22:22
↑名前を書くの忘れてました。
Posted by 倉数 at 2006年08月15日 22:25
>現在的な問題というのは、たいていコモンズ、国家、市場の三点セットの組み合わせでできている気がするのだけど、どうでしょう?

なるほど! この3点セットから現状のさまざまな問題に通ずるトータルな分析と批判ができますね。ここをしっかり突き詰めていけば、従来のコモンズ(共有資産、伝統的文化共同体)の復権とは異なる新たな公共性の意味も考えていけそう。ぼくもこの観点から、もう一度自分の考えを洗い直してみます。明晰な御意見、ありがとうございます。さすがです。

やっぱり倉数さんには、このブログに「倉数さんコーナー」を作って、不定期でいいですから、記事を書いて頂きたい、と願う今日この頃です。

地方都市における「人間の消滅」の光景は、気になるなあ。ぼくも以前、埼玉の深谷市に住んでいたとき、駅周辺で「ひとがいないなあ」と感じたことを思い出します。実際にひとが全然いないわけじゃないんだけど、なんか雰囲気が「終って」いたんですよ。不思議な感覚でした。
Posted by 青木 at 2006年08月16日 00:14
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