2006年07月19日

ロジスティック(4)/青木

前回と今回の記事では、芹沢一也さんの『ホラーハウス社会』という本の中の文章を手がかりにして、精神障害者の処遇をめぐる問題を考えています。引用の全文は前回の記事を見てもらうとして、今回参考にするのは引用文中の以下の部分です。

「だが、残念ながら、未成熟や精神の病を理由に裁判から排除されてきた人びとに、正当な法権利を与えようとする方向には事態はまったく進まなかった。
 現実に力をもったのは、一見したところ似ているのだが、その精神においてまったく異なる批判のほうだったからだ。
 その批判とは、そもそも罪を犯したものに、罰を与えないのはおかしいではないかとする批判だ。たとえ少年や精神障害者であっても、犯した罪には責任があるのではないか。厳罰化と呼ばれる傾向が、このような批判を掲げてきた。
 表向きの主張はよく似ている。だが、まったく違うのは、この批判が少年や病者を法的主体とみるのではなく、社会の危険な敵だとみなすものだったことだ。」(『ホラーハウス社会』202-203頁)



ここで芹沢さんは、「少年や精神障害者にも『裁判を受ける権利』を与え、法を犯したのなら犯罪者として扱う」という意見と、「少年や精神障害者も罪を犯したのなら『厳重に』罰すべき」という意見を区別しています。前者の意見は少年や精神障害者を法の主体として見る立場ですが、後者の意見は彼らを法的な主体としてではなく、社会から排除すべき「怪物」とみなす立場です。後者のような意見が力をもった背景には、やはり2001年6月の大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件が強い影響をもっています。犯人の宅間守に犯罪歴と精神病院の入院歴があったために、危険な精神病者がきちんと裁かれずに社会に放免されているという主張が、マスメディアから世間へと拡がっていきました。刑法39条の是非をめぐる論争が活発になったのもこの時期ですし、「心神喪失者等医療観察法」(2003年成立、2005年施行)が一気に可決されたのも実はこの事件がきっかけになっています。ただ、念のために言っておくと、この児童殺傷事件に関しては、宅間守は精神障害者として裁かれたわけではありません。取調べでみずから供述したように、彼のケースは精神障害者を偽装した「詐病」です。ですから、もし現在彼が犯行を行ったとしたも、「心神喪失者等医療観察法」の適用は受けないはずです。とはいえ、過去の事件(用務員として働いていた小学校で、教師が飲むお茶のポットに精神安定剤を混入した)で簡易鑑定を起訴猶予でくぐり抜け、40日程度の措置入院で済ませたことが、精神鑑定、さらには精神医療全般への不信感として噴出したわけです。

事件の概略と判決、および判決要旨に関しては、以下のサイトをご覧下さい。
「無限回廊」
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/oosakaikeda-hanketu.htm

このときの世間の不信感には、「精神障害者を措置入院させても社会に出てくればまた犯罪を犯す」という見方が支配していたように思えます。はたしてこの見方は、事実なんでしょうか。この点に関する資料は少ないのですが、ぼくの手許にある『刑法三九条は削除せよ! 是か非か』(呉智英・佐藤幹夫編、洋泉社、2004)という本に、滝川一廣さんの「生活や社会をどうまもるのか」という文章が収められていて、その中に「一九八〇年の一年間に違法行為(重大犯罪から微罪まですべて含む)をなしながら不起訴処分ないし裁判で刑の減免を認められた、つまり心神喪失ないし心神耗弱とされた精神障害者の全員、九四六名のその後を追跡し、再犯の発生状況を調べ」(181頁)たデータがあります。データそのものは「触法精神障害者の追跡調査」(井上俊宏、『こころの科学』七五号、1997.9)から採られています。これを参考にしてみましょう。引用します。

「井上らは11年間にわたって追跡している。この11年間中になんらかの再犯をした者は全体で206名(全調査対象者の21.8パーセント)、犯罪総件数は490件であった。疾患によって再犯率に大きな差がある。覚醒剤中毒者の再犯率が非常に高く(66.0パーセント)、次いでアルコール嗜癖者のそれが高い(30.6パーセント)。これらに較べて、統合失調症患者の再犯率はずっと低く、全体平均を下回っている(15.5パーセント)。
 再犯の内容をみると490件中、大きな犯罪としては、殺人14件、放火4件、強盗15件、強姦・強制猥褻9件、粗暴犯118件となっている。」
(滝川一廣「生活や社会をどうまもるのか」、『刑法三九条は削除せよ! 是か非か』181頁、漢数字を算用数字に変えました。)

次にこれを、受刑者が全体として何パーセントの割合で再犯するかを示すデータと比較してみましょう。同じ滝川さんの文章からの引用で、データの出所は『犯罪白書』です。今度は11年間ではなく、出所から5年間における再入所率であることにも注意して下さい。

「受刑者の出所から五年間における再入所率(%)

 出所年     総数 満期釈放 仮釈放

平成元年(1989) 41.2  53.1   31.9
  二年(1990) 42.0  54.1   32.6
  三年(1991) 42.6  54.7   33.7
  四年(1992) 44.1  55.4   35.3
  五年(1993) 45.4  57.8   36.0 」(同書、182頁)

触法精神障害者のほうのデータが1980年から11年間の追跡調査、受刑者全般のほうのデータは一番古いもので1989年出所から5年間の再入所率ですから、時期のずれはありますが、不起訴処分ないし刑の減免を受けた精神障害者の再犯率が21.8%、受刑者全般の再犯率は1989年出所で41.2%ですから、以上のデータで比較するかぎり、覚醒剤中毒者を除けば、触法精神障害者の再犯率のほうがずっと低いと言えそうです。なお、上に挙げたデータの触法精神障害者の再犯490件のうち、339件(69.2%)までは、今度は起訴され、一般犯罪として刑事処分を受けているそうです(同書、185頁)。

実は1980年同時期に出所した殺人と放火を犯した触法精神障害者と一般受刑者の再犯率を比較したデータも同じ滝川さんの文章の中にありまして(「池田小学校事件および特別立法に対する緊急声明」岡潔ら、精神科医療懇話会、2001.6)、そのデータを信用するかぎりでは、やはり触法精神障害者のほうが再犯率は低くなります。殺人再犯率が触法精神障害者で6.8%、一般犯罪者で28.3%、放火再犯率が触法精神障害者で9.4%、一般犯罪者で34.6%です(同書、183頁)。

刑法に触れる行為をした精神障害者の再犯率が、一般の再犯率より低いことを、意外と感じられるひとも多いかもしれませんが、考えてみれば当然なことではあるのです。病気が原因で起こった犯罪は、病気を治療すれば原因が除去されるからです。滝川さんもこう書いています。

「触法精神障害者の再犯率は、全体として低いばかりではなく、殺人や放火のような重い犯罪においても低いことがわかる。この事実から実証されるのは、犯罪が精神障害に起因したケースでは、それを刑罰の対象とするよりも医療の対象とする三九条に基づく現行のシステムは、(甲)の観点(「私たちの日常生活の安全や社会の治安がまもられるためにはなにがたいせつか」という観点です……青木)からみれば社会にとって役立っているということである。考えてみれば、あたりまえとも言える。精神疾患によるものなら、しかるべき治療によってその病気が治癒もしくは軽快さえすれば繰り返される危険は消えるからである。」(同書、184頁)

なるほど、でしょ。とはいえ、触法精神障害者の再犯率の相対的な低さ以上に、受刑者全般の再犯率の高さのほうが気になりませんか。ぼくがぶったまげたのは、むしろそっちのほうです。上のデータを見るかぎりでも、年々増加してます。じゃあ、最近はどうなんでしょう。少しは減ったのかな。前回の記事と同じ「平成17年版 犯罪白書のあらまし」から直接引用します。

「(3)  出所受刑者の再入状況
 平成11年における出所受刑者のうち16年12月31日までに再入した者の比率は,満期釈放者では61.8%,仮出獄者では41.1%であった。」

うひゃあ、まだ増えてる。ダメじゃん、刑務所。全然更正とか社会復帰の役に立ってない。ただし、この再犯率の増加は、刑務所のせいばかりでもない気がします。やっぱり日本の社会は、出所者の社会復帰がしにくい社会であり、しかも年々そうなっているのだと考えられます。結局、出所者でも定職につける社会環境を作らないと、再犯率は減らないんじゃなかろうか。一般受刑者であれ触法精神障害者であれ、再犯を起こしやすい環境は、たとえば職がない、家がない、同居家族がいないといった似たような状況なのですから。

それにしても、刑務所はその本質的な役割を終えようとしている感じがしますね。日本の政治も、じょじょに刑務所に頼らない処罰の方法にシフトしてゆくと考えられます。刑務所も今や満員ですし。

さて、ここまで検証してきたことからも、触法精神障害者は何度でも犯罪を犯すとか、精神障害者は社会から排除すべき「怪物」だとみなす意見には、意味がないことがわかってきます。たとえ刑法39条を撤廃して、精神障害者にも裁判を受ける権利を確保するにせよ、まず優先すべきことは病気の適切な治療であって、厳罰化でも社会から排除することでもありません。

ただし、ぼくは刑法39条の是非に関しては、まだ判断を保留しています。この問題を調べている内に、39条の是非を形式的に問う前に、絶対に解決しておかなければならない実際の問題があると知ったからです。それは、知的障害・発達障害・自閉症といった疾患を抱えた障害者が法を犯したときに、現在の取調べや裁判制度の中で被る不条理な状況です。

逮捕・勾留から起訴まで最長で22日間という長期の拘束を認めているのは、先進国では日本だけだそうです。この拘束期間の間に、たとえば知的障害のひとから、警察や検察に有利な「自供」を引き出すことなんて、日本の警察の取り調べなら実に容易でしょう。自白が得られれば、起訴もしやすい。また、そうして得られた供述調書は、公判に入れば有力な証拠として大きな力を発揮します。しかも日本の刑事裁判は、前回に書いたように、起訴されれば99%以上有罪なわけです。もし現在、えん罪が起こる可能性が大きい状況があるとすれば、おそらくは知的障害・発達障害・自閉症などの精神障害者を被疑者とする裁判だと考えられます。

先に挙げた『刑法三九条は削除せよ! 是か非か』という本の中で、佐藤幹夫さんが「刑法三九条 何が問題なのか」という文章で、次のように問いかけています。

「さらに、裁判官や検察官、弁護士のなかでいったいどれくらいの人たちが、知的障害者の障害特性を理解しているだろうか。彼らは、なぜ、どのように、いつ、どこで、なにを、という問いに答えることがきわめて困難である。私たちには答えられて当たり前のことが、彼らにはそうではない、ということが、どこまで考慮された裁判(被告人質問)となっているだろうか。自分に不利なことは証言しなくともよい、という理解が困難であることが、どこまで認識されているだろうか。
(略)
 裁判を受ける権利、というのならば、取調べから始まる一連の手続きと裁判の適正化、そして処遇、このことも同時に果たされなくてはならない。もし三九条の削除を本気で主張するのなら、知的障害や発達障害をもつ人たちにとって、適正な裁判とは何か。それは具体的にどのようなもので、どうすれば可能なのか。裁判後の彼らの処遇はどうしたらよいのか。そのことをも是非本気で考えていただけたらと思う。」(223-224頁)

重大な提言だと思います。取調べの仕方や裁判の進め方を現状通り維持したまま、39条を削除すれば、知的障害などを抱えた障害者がえん罪を被る可能性は、ますます高くなってしまうのではないでしょうか。この問題をクリアしてはじめて、刑法39条の是非を問い直す機会が訪れるのだと、ぼくは考えます。

上の佐藤幹夫さんの文章の他にも、同じ本の中の副島洋明さんの「求められているのはむしろ新しい『責任能力論』である」という文章も、知的障害や発達障害を抱えたひとの裁判の事情を具体的に知る上で、とても参考になります。

法制度にしても裁判制度にしても大学制度にしても、その制度の下でもっとも矛盾に直撃されているひと、またなんらかの改革が行われる際にはその改革の矛盾を一番に受けるであろうひと、そうしたひとたちの「当事者としての権利」を考えることから出発することが、遠回りに見えて、実は状況の改善への近道になるのではないか、そう考える今日この頃です。

次回はまた「鑑定ガイドライン」に話を戻しつつ、いよいよ「ロジスティック」の意味について書こうと予定しています。でも、たいした意味じゃないんですよ。あんまり期待しないで下さいね。
posted by aoki at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 青木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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