2006年07月11日

ロジスティック(2)/青木

これからの話を理解して頂くために、ちょっとだけ今までの記事のおさらいをします。

適応への内圧を高めてゆく社会の中で、適応しないひと、適応できないひとに向けて、権力の側から「法の外」への追放という脅迫が働きます。「お前なんかもう法の庇護の外に置くぞ、どうなっても知らないぞ」という、当初は幻想的な脅迫です。しかし、政治はこの「法の外」という幻想領域を、じょじょに現実化してゆくように思えます。そして権力は、この現実化した「法の外」の領域に向けて、統治のシステムを新たに組織してゆきます。その際、政治は「人間(人格)」を考慮することを放棄してゆくだろうというのが、ひとまずぼくが立てた仮説です。では、リアルなものとなった「法の外」とは、どのような領域なのか。そして、この領域に向けて権力はどのような「技術」を行使するのでしょうか。

ここで一旦、話が飛びますが、2000年に介護保健制度が発足した当時、要介護認定のための一次判定ソフトの不具合が各地で報告されて、メディアにも大きく取り上げられたことを、皆さんは記憶しておられるでしょうか。データを軽めに入力したほうが重い認定度がはじき出されるといったケースまであった、見事なポンコツソフトのことです(現在は改訂版が使われています。少しはマシになったのかな)。当初ぼくは妙な違和感を感じつつも、「ソフトを作ったやつと、ろくにチェックもしないで実施に踏み切ったやつが、アホだったんだろ」くらいにしか考えなかったのですが、今思うと、その時の違和感をもうちょっと踏み込んで考えておけばよかった気がします。


なぜ唐突にこの話を持ち出したかと言うと、芹沢一也さんの『ホラーハウス社会 法を犯した「少年」と「異常者」たち』(講談社+α新書、2006)という本を読んで、「心神喪失者等医療観察法」における「鑑定ガイドライン」の中身を知ったとき、かつて要介護認定ソフトに感じた違和感が一挙に増大して蘇ってきたからです。ちなみに芹沢さんのこの著作は、サブタイトルが誤解を招きそうな気がしますが、以前にお勧めした『<法>から解放される権力』(新曜社、2001)の現代版といった内容で、しかも具体的でわかりやすいので、これまたお勧めします。

2003年成立、2005年施行の「心神喪失者等医療観察法」__正確には「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行なった者の医療及び観察等に関する法律」という長い名称です__、この法律は、おおざっぱに言えば、危険な行為を犯した(とみなされる)精神障害者の処遇に関わる刑法の法律です。第1条にはこうあります。「この法律は、心神喪失等の状態で重大な他害行為(他人に害を及ぼす行為をいう。以下同じ。)を行なった者に対し、その適切な処遇を決定するための手続等を定めることにより、継続的かつ適切な医療並びにその確保のために必要な観察及び指導を行うことによって、その病状の改善及びこれに伴う同様の行為の再発の防止を図り、もってその社会復帰を促進することを目的とする」。なるほど、理念はわかります。重要なのは、この法律が何を現実化するかです。で、問題の「鑑定ガイドライン」というのは、この法律の下、精神鑑定のために使われるマニュアルのことです。厚生労働省の補助の下で、松下正明氏を主任とする研究班(松下班)が作成したものです。

まあ、ひとまずこの「鑑定ガイドライン」の中身の一部を見てみましょう。要介護認定ソフトの場合のように杜撰というわけではありません。いや、知的な意味では杜撰なんですけど、目を引くのはとにかく粘着的な執拗さ、行動のどんな些細なあやまちも見逃すまいとする異様なしつこさです。「共通評価項目」の中の「生活能力」の箇所を引用します。上記の芹沢さんの本の中にも一部引用されているのですが、せっかくの機会ですから「鑑定ガイドライン」から直接引用します。迫力があります。

「5、生活能力
 この項目は患者の生活技能、対人技術などのうち、適応的な行動の能力的な面を評価する。入院中の場合は、地域での生活時の生活能力を参考にしながら、入院中の状態変化を勘案して評価する。行動面では以下のような項目がチェックされ、最も高得点を示した項目の点数がコードされる。全ての下位項目を検討することが重要であるが、1の評点が多くあっても全体の評点は1であり、2点が1つでもあれば全体の評点は2点となる。
1)生活リズム:昼夜逆転、睡眠と覚醒の時間が定まらない。
2)整容と衛生を保てない:顔を洗わない、あるいはめったに洗わない。衣服が汚いあるいはぼろぼろ。外見が汚い、あるいはくさい。
3)金銭管理の問題:金銭のやりくりができない。しばしば金銭の貸し借りをする。消費者金融から安易に借金をする。不要なものを安易に買ってしまう。
4)家事や料理をしない:寝る場所が散らかっている。台所や共用場所を散らかったままにする。自分で片付けない。掃除、洗濯やゴミの分別が出来ない。
5)安全管理:火の始末、貴重品や持ち物の管理などができない。戸締りが出来ない。
6)社会資源の利用:交通機関など公共機関を適切に利用できない。必要な物品の入手が出来ない。
7)コミュニケーション技能:電話や手紙が利用できない。困難な状況で助けを求めることが出来ない。
8)社会的引きこもり:故意に他人との接触を避ける。グループ活動に入らない。
9)孤立:ほとんど友達がいない。集団の中にいても他者との交流が乏しい。
10)活動性の低さ:まったく活動しない。多くの時間を寝ているか横たわってすごす。
11)生産的活動・役割がない:就労、主婦、学生、ボランティア、デイケアや作業所の通所、地域活動などへの参加がない。
12)過度の依存性:すがり付いて離れない、他者の時間を独占する。簡単なことでさえどうするか言われなければできない。
13)余暇を有効に過ごせない:時間の使い方が分からずに苦痛を感じる。何も楽しみがない。
14)施設に過剰適応する:病院に居続けたがっている。退院や社会にかかわるのを心配している。
評価:0=問題なし、1=軽度の問題、2=明らかな問題点あり」
(『「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(医療観察法)鑑定ガイドライン』、厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)「触法行為を行った精神障害者の精神医学的評価、治療、社会復帰等に関する研究」、2005)

ねっ、実に細かいでしょ、しつこいでしょ。中学の生活指導の先生よりもしつこいです。ぼくなんか最初の「生活リズム」でもう「明らかな問題点あり」、ばっちり2ポイントをゲットだぜ。でも、このマニュアルで評点0のひとって、いるのかな。皆さんはどうですか。それはともかく、こんなマニュアルで判定されるひとも気の毒だし、ましてや治療中の行動まで規制されたんじゃ、余計に病気が悪化しそうな気がします。ガイドラインには「……本評価項目(「共通評価項目」を指します……青木)は、治療導入前から治療中、退院後のフォローアップを通じて定期的に評価し続けるものである」としっかり記されています(「資料 共通評価項目の解説とアンカーポイント」)。こわ。そもそも、大切なのは鑑定より治療だろ、と言いたくなります。あっ、「そもそも」って言っちゃった。まっ、いいか。

しかもこの「生活能力」の箇所は、ガイドラインのまだほんの一部です。「共通評価項目」だけでも、上記の「生活能力」を含めて17項目プラス「個別項目」があって、それぞれの項目ごとにまたまたしつこい、ストーカーばりの下位項目のチェックがあります。参考までに、「共通評価項目」の一覧も挙げておきましょう。

「精神医学的要素」
1)精神病症状、2)非精神病性症状、3)自殺企図
「個人心理的要素」
4)内省・洞察、5)生活能力、6)衝動コントロール
「対人関係的要素」
7)共感性、8)非社会性、9)対人暴力
「環境的要素」
10)個人的支援、11)コミュニティ要因、12)ストレス、13)物質乱用、14)現実的計画
「治療的要素」
15)コンプライアンス、16)治療効果、17)治療・ケアの継続性
「個別項目」

こうしたガイドラインが作成された背景にはおそらく、従来の精神鑑定では同じ被疑者に対して異なった見解が呈示される場合などがあるため、もうこの際、基準を統一して、誰が鑑定しても同じ結果が出るようにマニュアル化しちゃえ、という政治判断が働いているのだと考えられます。ガイドラインの「はじめに」にも、こう記されています。

「周知のように『医療観察法』における申立て後は、まず精神鑑定(鑑定入院)から始まる。したがって、まずは、精神鑑定のガイドラインが必要となる。とりわけ、『医療観察法』における精神鑑定が鑑定人の恣意性によって勝手に行われるならば、裁判所における判定はもちろんのこと、その後の入院医療、あるいは通院医療、ひいては医療観察法による医療全体に混乱を引き起こしかねないという危惧があり、鑑定ガイドラインの制定は緊要の課題とされてきた。」

しかし、芹沢さんもはっきり指摘していますが、このガイドラインに科学的な根拠なんてまるでありません。もし犯罪精神医学者が「これぞ科学だ」と言うなら、ぼくは犯罪精神医学そのものを科学とも学問とも認めたくありません。観察技術と科学理論の分け難さ、こ難しく言えばハイゼンベルクの不確定性原理以来明らかな技術と理論の不可分性を承知の上で、こんな鑑定マニュアルの「技術」は科学じゃないと断言したい。だって、それ以前のレベルです。このガイドラインを支配しているのは「医師の視線」ではなく、明らかに「政治的監視の視線」です。つけ狙い、追い回す、スパイの視線と同質なのです。

次回からは、なぜ現況下でこのようなガイドラインが作成されたのか、その背景を芹沢さんの所論を参考にしつつ簡単に考察してから、こうしたマニュアル化が政治における想像力のどのような変質に結びつくかを考えようと予定しています。

なお、「心神喪失者等医療観察法」の内容と問題点に関しては、日本弁護士連合会刑事法制委員会編の『Q&A心神喪失者等医療観察法解説』(三省堂、2005)が参考になります。この本の中でも、ガイドライン中の「個人心理的要素としての生活能力」や「対人関係的要素としての非社会性」「個人的支援やコミュニティ要因などの環境的要素」などは「およそ医学的鑑定内容とは思われない項目」であり、「こうした要素を処遇の必要要件ととらえると、本人にコントロールできない要素がいつまでたっても付いて回ることとなり、退院できないこととなってしまいかねない」(25頁)と指摘されています。このガイドラインが「リスクアセスメント論」を前提としていること、そして「心神喪失者等医療観察法」自体が「運用によっては保安処分として機能しうる制度であること」(22頁)も重要な指摘です。ガイドラインの試案段階でははっきりと「リスクアセスメント」と記されていた箇所は、現行のガイドラインでは「社会復帰要因」と言い換えられています。上に挙げた「共通評価項目」も、実はこの「社会復帰要因」に関わっています。

pdf版で「鑑定ガイドライン」をまるごと読めるサイトもあるみたいですが、手っ取り早く問題点を知りたい方は、以下のサイトを見られるとよいでしょう。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/2005_15.html

この「鑑定ガイドライン」、ぼくが読んだかぎりでは、読み進めるほどにゾクゾクするほどおぞましい、ある意味では時代を画するサイコホラー的な傑作だと思います。
posted by aoki at 16:29| Comment(3) | TrackBack(0) | 青木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私もやってみました。こういうのって、その時している仕事にもよりますが、下読みしている時は13点くらいです。

なんというかSPIテストを極端にしたという印象ですね。そういえば、以前やっていた家庭教師さきの父親が会社の経営者だったので、せっかくだから「SPIテストってどうなんですか?」みたいなことを訊いてみたんですよ。その時はたしか「いやあ正しいかどうかというよりは確立の問題だからねえ」という感じの答えでした。これぞ機会原因論、判定される側はそれこそ反論する機会もないとういことでしょう。
Posted by 池田雄一 at 2006年07月12日 14:59
 こんばんは。はじめまして。川崎で障害者ヘルパーをしている者です。「自立支援」がとにかく叫ばれていますね。二〇〇三年にホームレス自立支援法が成立し、本年度から、障害者自立支援法がスタートしました。また医療分野の自立支援医療や、生活保護分野の「保護から自立支援へ」などの流れもあります。この流れが、最近はフリーターの分野にも押しよせてきました。最近設置された政府の「再チャレンジ推進会議」(議長・安倍晋三官房長官)は、「正職員とパートの格差是正」「いくつになっても働ける社会」「人生の複線化」「起業家の再起支援」など等を目標においています。再チャレンジ推進法案(仮)の来年の通常国会への提出をめざし、検討も始まりました。しかしこの場合の「自立」は、就労支援や経済的自立に強く傾斜したものに見えます。ここのところをきちんと考えることが大切なのかなと思ったりもします。
Posted by 杉田俊介 at 2006年07月12日 22:00
池田様、杉田様、コメントありがとうございます。

池田様へ。13点は高得点ですね。さすが。まあ、全体の評点は1か2になるのでしょうが。ガイドラインは一応、WHOのICD-10の疾病分類などを参考にしているらしいのだけど、あの評価項目は松下班が独自に作成したものでしょう。SPIテストについては何も知らないので、今度教えて下さい。
いずれ「ロジスティック」の記事の中で、政治のテクノロジーがまず「統計とプロファイリング」の技術に集中すること、そこから生じる確率論的な世界観についても少しは触れたいと思っています。「ロジスティック」は大作になりそうです。でも、いつこの言葉の説明をするのでしょうか、笑。

杉田様へ
>しかしこの場合の「自立」は、就労支援や経済的自立に強く傾斜したものに見えます。ここのところをきちんと考えることが大切なのかなと思ったりもします。

まったくその通りですね。重要な指摘に感謝します。現状を見ると、本来目指すべき「生活の自立(自足)」のために必要な社会的な整備は行わずに、立法だけが(わざと)先走りしていて、その法律の当事者の自己負担や生活の苦労だけは着実に増えてゆく、という印象をぼくは持っています。「障害者自立支援法」でも、働くためにわざわざお金を払わなければならない、というおかしなシステムまで生んでいると、確か調査の途中で知りました。「自立のための労働(就労)」が、日本の社会統治のためのイデオロギーみたいなものになりつつある気がしています。そのせいでしょうか、ぼくは政治家が今さら「自立」とか「支援」とか言い出すと、最近は不信感がつのります。安倍氏も次の総裁選をにらんで、派閥固めのためにあの会議を設置したのではないかしら。うがち過ぎでしょうか。

フリーター問題を含めた「労働」をめぐる状況についても調べないといけないのですが、まだ手が回りません。申し訳ないです。でも「なぜ働くのか」という意味をめぐる多くのひとの意識の変化に、意外と現状からの突破口もあるのではないかと思っています。あくまでもぼく個人の意見ですが、「自立」が強制される社会では、労働はどんどん「強制労働」に近い性質を持つ危険があると考えています。どうせ働くならゆったり働きたい、という怠惰なぼくの思いも含んだ意見ではありますが。
Posted by 青木純一 at 2006年07月13日 05:49
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