2006年06月15日

過剰適応(4)/青木

なんだかちょっと「過剰適応」というテーマからは脱線気味と思われるかもしれませんが、院生時代のぼくの身の上話を続けます。この先、だんだんとグチっぽい内容になっていっちゃうんですけど、本来の意図はグチではないので、その点はどうか了解して下さい。

まず教訓1:「大学院生活において、病気、特に長患いをすると大変な目にあう」についてですが、これは主に経済的なことです。といっても、医療費ではないのですよ。学生保健に入っていれば、医療費はかなりの程度戻ってきます。問題なのは生活費です。大半の院生の経済生活は、アルバイトやパートの収入と奨学金で成り立っています。奨学金は主に旧育英会、現在の独立行政法人「日本学生支援機構」から「貸与」されます。そう、あくまで「貸与」、いつかは返済しないといけないお金です。結構、いい金額が振り込まれます。ぼくの時代で文系の修士課程では月に7万弱、博士後期課程で月に10万強だったと記憶しています(さっきから奨学生手帳を探しているのに見つからないので、正確じゃないかもしれません)。ただし、在籍期間全部にわたってというわけではなく、最低年限だけ振り込まれます。つまり、修士課程なら2年間、博士後期課程なら3年間だけ支給されます。

ぼくの場合、奨学金の使い道はまず学費等の支払いでした。これで2、3ヶ月分くらいは消えてしまいます。あとは本の購入や学会費、アルバイトだけでは足りない生活費などです。それでも奨学金とアルバイトを足せば、贅沢さえしなければ、十分暮らして行けました。病気をするまでは。

ぼくの病気というのは、重度のアトピーです。もともとアトピー体質ではあったのですが、ドクター・コースの2年目くらいから、ちょっと想像を絶するような症状に陥りました。たぶん二次感染を起こしたのだと思うのですが、大げさで言うのではなく、本当に全身の皮膚がはげ落ちちゃった感じで、寝返りを打つのさえ苦しい状態になりました。「存在の耐えられない痒さ」などとギャグをかましていましたが、痒さを通り越して痛かったです。入院して一旦よくなったのですが、またすぐに悪化しました。それでも首から下の体の皮膚は1年くらいでかなりよくなったのですが、顔の皮膚だけはなかなかきちんと形成されません。顔の皮膚は、他の部位の皮膚よりもかなり薄いらしいのですね。顔が日常的に我慢できる程度まで治るのに、3年くらいはかかったと記憶しています。

もちろん、症状がひどい時は大学にもいけないし、アルバイトも休みました。顔からリンパ液がぐじゅぐじゅ出てくる状態ですから、外出そのものがまず無理です。ほとんど家に閉じこもって、ガーゼと包帯を巻いて定期的に通院だけする(その帰りに簡単な買い物をする)という毎日です。快方に向かえば大学院にも仕事にも復帰しましたが、悪化すればまた長期間休むという日々のくり返しでした。皮膚のケアだけに専念していた単調な生活だったので、時間の記憶がはっきりしないんですけど、たぶん学校も仕事も、のべにして2年以上は休んでいたと思います。博士後期課程で1年休学したのも、そのためです。そしてこの時期、奨学金をどんどん生活費にまわしてしまいました。博士後期課程の4年目からは奨学金も入らないですから、貯金を切り崩して生活費にしました。博士後期課程の終り頃には、気づいたらスッカラカンになっていました。

この時期に痛感したのが、院生生活の経済基盤の脆弱さです。これは別に大学院生にはかぎらないことであり、現在「プレカリアート」と呼ばれている不安定な雇用条件に置かれている人々誰もに共通して言えることだと考えますが、とにかく病気や事故で働けなくなった時点ですぐに収入が途絶え、いきなり生活がひっ迫します。特に病気が長引くと、大変な目にあいます。それに院生の場合は、奨学金が入らなくなっても、大学院に在籍する以上は学費を毎年払い続けなければなりません。

余談になりますが、1年も大学院に通わないでいると、もう忘れられた存在となってゆきます。こっちの被害妄想かもしれませんが、病み上がりで久しぶりに大学院の授業に出席したとき、「お前、まだいたのか」みたいな目で見やがった(というか黙殺しようとした)先生がいました。ぼくが論文を書く決心をしたのは、このときです。そうしなきゃ、まるで病気するためだけに大学院に残ったようなものですからね。せめて研究の成果だけでも残そうと思ったわけです。論文の核となるアイデアは発見していたので、まずおおまかなプランを立てて、それから1年で書き上げてやろうと奮起しましたが、実際は1年半かかりました。学術論文はどうしても細かい文献作業を要するので、時間がかかります。本当は2年かければよかったのですが、在籍期間の猶予があまりなかったので、1年半が妥当な限度でした。思い返してみると、研究としてはこの時期が一番充実していました。ひとりの研究者(の卵)としては、もっとも幸せな日々でした。

院生やオーヴァー・ドクターの経済的な生活の問題は、すでに九十年代には指摘されていたことなのだから、大学の内部に彼らの生活をサポートする互助組織のようなものがあってしかるべきだと思うのですが、そういうものがあるとは今でも話には聞いていません。本来なら大学の正教授たちが音頭を取って組織を立ち上げればいいことですが、現在までそうしたことがなされてこなかったのならば、この先もまったく期待できないでしょう。どうすればいいんでしょう。正直なところ、名案はありません。大学の外に出ちゃった今のぼくから見ると、院生が大学の内部に適応し切っている状態からでは、もう何もできないだろうと思います。大学の外で労働環境などの問題に直接に取り組んでいる団体に連絡を取って知恵を借りる、あるいは一部の非常勤講師のように大学の内と外の橋渡しになれる立場の人々と連帯する、そんなところから始めないとダメじゃないかな。いずれにせよ「大学院を大学の外へ開いてゆく」という発想が必要でしょう。でも、そのためには、院生やオーヴァー・ドクターの社会的な意識の変化も必要です。そこが難しい気がします。なぜ難しいか、それを「教訓2」にからめて次回に考えてみます。
posted by aoki at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 青木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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