2006年05月21日

学問から解き放たれる権力(3)/青木

(前々回、前回から引き続いて、前田雅英氏の刑法理論を論じています。)

それにしても、まがりなりにも刑法「学者」である前田氏が、なぜ刑法学そのものを非学問化するような立場に立とうとするのでしょうか。自分で自分の食い扶持を減らしてるようなものではないか。そういう素朴な疑問がわきます。ここを考えるためには、彼が「社会」をどう見ているかを論じなければなりません。前田氏は刑法の運用を「国民の意識」(『刑法から日本をみる』13頁)に合わせていくという点をいつも強調します。ところで、このひとの本の中にはやたらと「国民の規範意識」とか「国民の常識」といった言葉が出てくるのですが、その実体はさっぱりわかりません。それどころか、「……少年の犯罪を増加させてきたのは『社会』であり」(『少年犯罪』はしがき)と言い、戦後の社会の流れを犯罪化の歴史として批判しているのだから、余計に変な感じがします。

しかし、それもそのはず。前田氏は別に「国民の意識」とやらをきちんと歴史を吟味して考えているわけではありません。少なくともぼくの読んだ本の中には、そういう努力の跡はうかがえません。むしろ、治安の観点から(けっして厳密に法の観点からではありません)彼が要求する「規範」に従うよう、曖昧で同質的な「国民の意識」なる「気分」を作り上げようとしていることが、特に『少年犯罪』『日本の治安は再生できるか』という2冊の本からは感じられます。イメージの操作が露骨なのです。

そして、実はここにこそ彼の首尾一貫性があると言えます。簡単に言っちゃえば、前田氏は刑法学者として法律実務のチェック機能を果たすというカウンター・パワーである役割をはるかに超えて、むしろ積極的に「国民の意識」とやらを作り出し操作すること、そうすることで統治的な権力を間接・直接に行使することを目指しているのです。そこがわかれば、上記の2冊の著作の狙いもわかります。サブリミナル効果でも狙っているのかと思われるような、時に意味不明ですらある写真の挿入は、この2冊の本が学問のための著作ではなく、読者の意識をコントロールするために書かれた本であることを証しています。内容はともかく、その編集のテクニックは、巷で配られている宗教パンフレットと同じたぐいのものです。統計にこだわり続けるところは、ひょっとしたら初期の「違法性は客観的事情を基礎に判断されるべきである」(『可罰的違法性論の研究』558頁)という考えに忠実であろうとするためかもしれませんが、出典の明示されていない統計資料の活用などは「客観的事情」のねつ造ではないかという疑いを残します。

前田氏は言います、「犯罪を抑止することにとって重要なのは、裁判所や警察である前に家庭であり、学校であり、社会なのである」(『日本の治安は再生できるか』199頁)。では、その当の「社会」とはいかなるものでしょうか。彼が語る現代の「社会」とは、常に不審な少年少女がいる「社会」(『少年犯罪』7,8,9章参照)、常に不審な外国人がいる「社会」(『日本の治安は再生できるか』第二章参照)、さらに言えば、離婚率が高く子供を非行に走らせやすい環境を作る困った女性がいる「社会」(『日本の治安は再生できるか』第四章参照)です。「不審者」という内部の敵を抱え込み、今後も生み出し続ける「社会」、そしてこの内部の敵をつねに監視し、非難し、排除し続けなければいけない「社会」__これこそ前田氏が作り出そうとしている社会像です。そして、彼が語る「国民の意識」とは、こうした「不審者」を積極的に作り出し排除するよう統治に組み込まれ、コントロールされた意識に他なりません。

この社会像に応じて、前田氏の活動は理論的なものから実践へと移行しつつあるように見えます。前田氏は現在、首都大学東京で教鞭をとりながら、インターネット関連企業の代表や識者によって組織される「総合セキュリティ対策会議」(これはネット監視の「ホットライン」設置のための委員会です)の委員長、また警察庁設置の「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の座長を務めています。日本の状況がファシズム化してゆく際に、統治権力にとって情報産業の支配と情報操作は要となりますから、この点でも前田氏の姿勢は一貫していると言えます。現在の政治は、単にネット上で情報の規制を行なおうとしているだけではありません。インターネットを含めたメディア全体を「統治の場」として組織し直すことを目指しています。「『不審者』という内部の敵を抱えた『社会』」というイメージは、メディアを統治の実践的な場として再編成するには、まさにうってつけの出発点になります。その際、まずエロと青少年がターゲットとなり、そこから侵食的に展開してゆく仕方でメディア全体が包囲されてゆくプロセスに関しては、『ネオリベ化する公共圏』(すが秀実・花咲政之輔編、明石書店、2006)の中の松沢呉一さんの文章「『エロ』から始まる」が参考になります。いずれナボコフの『ロリータ』が禁書になる日が来るかもしれないな。今の内に映画のDVDも買っとこっかな。

監視の目が行き渡ってきた社会においては、市民からの逆監視の目も多少は有効です。これから先、特に「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」が何をやらかすかは、注目しておくといいと考えます。委員のメンツもすごいですよ。以下に研究会のURLを記しておきます。

http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen29/Virtual.htm

前田氏の活動は、権力が学問から解き放たれてゆく事態を通じて、権力がリアルに「法の外」へ逸脱しようとする瞬間を見事に反映していると言えます。彼の現在の理論の根底にあるのは、法への思考ではなく、「法の外」という幻想を現実化しようとする統治のシステム内部での実務、いや、もはや本来の意味の(法律)実務ではなく、社会を内的な「臨戦態勢」に置く管理のための「テクノロジー」そのものです。もちろん、前田氏の言論だけを論じて刑法学全体が変質していると結論づけるわけにはいきません。今なお「学者」の役割を自覚して刑法に携わっているひとも多いと思います。ただ、刑法とその周辺領域が急激な変化を迎えている現在、いわゆる進歩的な学説の内部にもこの先、変質の兆しが現われてこないともかぎりません。その点は今後、ぼくも注意していこうと考えています。

(やっと一段落つきました、ふう。次回は少し脱線して、自分の経験や文学ネタも入れながら、過剰適応について書こうかなと思ってます。)
posted by aoki at 00:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 青木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by ちょっと失礼します at 2006年05月21日 19:28
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